卒業生の声

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51歳 好生館病院→当施設で回復→和菓子屋として自営業

膵炎2回、入院プログラム数回、挙げ句の果て妻、子供達が家を離れ、いろんな事にやけくそになって、工場にあったラム酒をガバ飲みしてぶっ倒れ、親が緊急搬送してくれたのが最後の酒。家族との関係がギクシャクし、何度注意されようが嘘をつく自分がいて、嫌になり何度自分の意思で酒を止めようと決心しようが、結局は叶わなかった事が、名古屋マックにイヤイヤだけれども入所し、仲間とミーティング、マックでの共同生活を開始。3ヶ月程するとここでしっかりとやり遂げれば飲まない生活ができる様になり、楽しく暮らせるのだろうか、酒なしで楽しいのだろうかと疑問やらが自分の中で湧いてきたけれども、正直になる事、受け入れる事など先行く仲間の話のおかげで飲まない生き方ができる様になり、現在は家族と昔話しを笑いながら暮らせる様になりました。施設のおかげでスムーズに飲まない事ができる様になり、できなかった事ができる様なり、お酒なしで毎日が楽しく暮らせる様になり感謝です。

74歳 小浜病院→当施設で回復→当施設で仲間のために働く

現在私の年齢は74歳である。卒業して24年になる ソブラェティ(飲まなくなって)24年ということになる。あっという間だった! 今は田舎(福井県)で97歳の母親を一人で老々介護している。 私がマックで得たものは、勿論 飲まないで 健康な心に戻して頂いたことと、雨の日も風の日もミーティングに通い続ける『継続する力』を植え付けてもらったことだったと思う。 それと今になって大変感謝しているのは、ナイトケアでの朝食当番である。(仲間の為に早起きして食事を作るプログラム)あの時に食べた炊き立てご飯と味噌汁の旨さが忘れられず、卒業してからも作り続けていました。母の介護に大いに役に立っている! 午後からは予定がなければプールへ通い、1日2㎞を泳ぐことを日課にして、拾った命を大切にして生活しております。 今、プログラムを受けている仲間に一言! このプログラムを信じて、迷わず 気楽にやろう!

35歳 八事病院→当施設で回復→大手コーヒーチェーン就職

リカバリーセンター・フェローに入る前、私の人生は完全にめちゃくちゃでした。アルコールの問題で何度も病院に運ばれ、さらに仕事も失いました。フェローに入所すると私は緊張と不安で押しつぶされそうになりました。回復までの時間に耐える自信がありませんでした。 しかし、施設に入ると同じ生きづらさを抱えた仲間の笑顔と暖かい歓迎で迎えられ、まるで久しぶりに帰ってきた自宅のようでした。最初の数日間は、新しい環境に適応し、他の人と一緒に生活するのが難しかったです。しかし不思議なことにお酒を飲みたいという衝動はどこかに消え去ったように感じました。しかし警戒を怠るわけにはいきませんでした。それが施設で教わった大切な教訓です。お酒をやめても一口の飲酒で依存症に陥ります。 仲間とのミーティングは非常に価値がありました。仲間の経験を聞くことで、依存症についての知識とモチベーションを得ることができました。そこでの連帯感は、飲まない状態を維持する力を与えてくれました。 私は今、大手コーヒーチェーンで働いていますが、リカバリーセンターフェローと出合えなかったら、今の場所にはいないと確信しています。

74歳 大阪マックで回復→当施設で仲間のために働く

酒の飲みすぎで原因で家庭崩壊、失業、入退院の繰り返したのはわかっていた。マックに繋がる数年前は節酒に努めたが自分がアルコール依存症であることを知らなかった私は大切なことを失い続けた。 何もかも無くしてマックに繋がった。問題の原因は酒だから酒さえやめればいいと考えていた。だからマックでの生活(プログラム)が無意味に思えた朝、いつもの時間に起きて朝食を済ませて、いつもの電車に乗り、マックに行く。退屈なミーティング、昼食後またミーティング、そして自助グループのミーティング。飲むこともできない強制されたような毎日のように感じていた。後から気づいたことだが、私は恵まれていた。それは酒を止めるためには自分のやりたいことはやらない、やりたくないことをやり続ける必要な環境にいたことだった。退屈と思えた毎日の生活は飲んでいた不規則な生活の裏返しだった。私に必要な生活は規則正しい生活だった。酒の無い生活の素人の私がスタッフや仲間に助けられて飲まない人生をスタート出来たのは一種の社会勉強だったと思う。それはマックだったのだ。